こういうことがある。
もらったもの、もらったことが大切で、そこにその人が居るような気がして、食べ物でも食べたら終わってしまうから、使ったほうがいいものでもずっと見えるところに置いてしまう。消えてしまうことが惜しいのか、見るとあの瞬間のことを取り出して思い出す。そういうことと共に生きている感覚がある。
大抵のことは通り過ぎられるけれど、“どうしても”というコトがあり、“どうしても”というモノがある。
”どうしても“と思える、大切な瞬間とは、誰かれとシェアできるようなことではない。その人と私が、何かの存在と私が知っていること。しかし、それでも言葉や映像や音にしたいと思ってしまう。 つくることをしていると、「あ、できた」と思う瞬間がある。
自分の手を動かす様なつくりものをしている時だけではなくて、近所のスーパーマーケットで買い物を済ませて、駐車場から見上げた最高の夕焼けを目撃した時にもやってくる。完璧だ、完成している、できた という感じだ。
壊れた時計の針は1日に2度、正確な時間を示すように、調和の取れた世界が、ぽっかりとした世界に時おり顔を出してくれる。