https://www.nytimes.com/interactive/2023/09/18/world/asia/singapore-heat.html
シンガポールを事例に都市の”冷まし方“考察。ニューヨークタイムズの記事から。ページのレイアウトも視覚的に面白い。
夏の東京を歩いていると暑さが辛い。自然、なんせ土が見当たらない。神宮外苑の木に関する騒ぎついても、あの東京でまあまあの古木を切るということへの抵抗は、心情的に理解できるところがある。目的よりも。渋谷駅の改造のようにはいかない。
後日、東京から神戸へ戻ってきて、シネリーブルへ行こうと元町を歩いているとそこへ浜風が通った。気持ちがいい。山が見える。安心感があった。さらに神戸から三木へ戻ると気
温も違う。北に位置することもあるが、自然が残っている。
よく、“その土地ならでは”というワードが踊るのを見る。結果的にどこもかしこも似た都市の景色を見かけるのが不思議だが、シンガポールの考察を見ると、その「地形」から都市の設計を見直すということをやっている。東京のように何もかもが巨大になりすぎた都市では、ビルを建て替えるのにの一苦労のようだ(東京にあった世界貿易センタービルディングの事例)。
もっと植物と共に、と一口に言っても実行が難しいように思う。コンクリートでできたビルの上に植物を植えれば何とかなるのだろうか。
知らぬ間にこの環境に合わせて人が変わっていく。これは見える景色、浜風よりも見えない、人の中で変化していく。
急速に環境変化してしまった世界で、ぼくは人生の残り40年足らずでどんなことができるのだろうか…