AIについて誰かと話すと、「AIができること」「AIと共にできること」これらの可能性が広がっていることを確認しつつ、いつも最後は、人にしかできないことをしようという話になる。
坂本龍一さんが3月28日に亡くなったことが今日発表された。わたしにとって坂本さんの音楽は血となり骨となって身体の一部です。好きや愛を超えてしまうようなところにあって、この度の知らせで身体の一部が喪失した感覚がある。このことは時間をかけてゆっくり確認する。
坂本さんの音楽はテクノロジーと共にあったと思う。大学などの研究所にしかなかったコンピュータで作曲していたXenakisの時代から、Moog博士の巨大なシンセサイザーでWendyCarlosや冨田勲さんがテンキー入力で音符を入力して、音色をケーブルでパッチングして多重録音した時代へつながり、The Who、初期のKraftwerkやディスコ解釈のGeorgio Moroderなど様々なアーティストが登場し、まもなくデジタル録音ができるという時代の直前で、日本でYellow Magic Orchestraが誕生する。彼らが多用したシンセサイザー Prophet-5では作った音色をメモリーすることもできた。今では当たり前のMIDIというデジタルの規格もなかった時代のこと。
Prophet-5は本当に素晴らしい楽器で、テクノという言葉で連想するピコピコ音にとどまらず、有機的なえぐみのある音や複雑でノイジーな音も作れ、鐘のような金属音も得意だった。これらはイギリスのJapanのTinDrum、YMOのBGM、坂本さんのB2-Unit…とにかく80年代のYMOのメンバーが何かしらで関わった楽曲全般で聴くことができます。
1978年以降、かつては現代音楽のジャンルの一部だったような電子音楽は進化し、世界中のポップスでProphet-5やLinnDrum、RolandのTR-808など当時、新発売の電子楽器が使われるようになることで、音楽チャートの景色が変わっていった。2000年代に入るとコンピュータやシンセサイザーは進化し、ラップトップだけでも音楽が作られるようになった。
冨田勲さんはアルバム「月の光」の中でMoog iiiをプログラミングで歌を唄わそうとしたがうまくいかず、晩年、初音ミクと楽曲を作成して長年の思いを形にした。
坂本さんは十数年前、コンピュータが1から作った音楽を聴いてみたい と言っていた。これは現在の深層学習型AIの登場前の話で、以前のAI観で語られていたように思うが、今、時代は坂本さんが言及したことに近いことが起こり始める段階にある。
わたしは話題のChat-GPT4を毎日使っている。進化が目まぐるしい。誰も追いつけないスピードで、指数関数的に進化しているという感じだ。音楽の自動生成はまだ色々と課題が多く難しいのだが。
AIについて誰かと話すと、「AIができること」「AIと共にできること」これらの可能性が広がっていることを確認しつつ、いつも最後は、人にしかできないことをしようという話になる。
AIの深層学習は人が作ってきた莫大なデータを元に、複雑な組み合わせ、アルゴリズムで、ターゲットに目掛けて自動生成しているという風にわたしは捉えている。これはすなわち、わたしたち自身がいつも自分でしていることにも近い感じがする。わたしたちは世界で出会ってきたあらゆるものを元にして生きている。宇宙に想像を膨らませるのも、なにかを信じるのも、自分の中にあるもの、見聞きしてきた想像を膨らませて世界を作っている。
坂本龍一さんの最後のアルバム「12」は、治療の合間にスケッチ、日記のように作り溜められた楽曲12曲で構成されている。音を浴びるように作ったとのことだ。坂本さんが音を奏で、その音に惹きつけられるように次の音が生まれていく…そんな音の時間、音像を思い浮かべる。
AIの現在については、2023年のノーム・チョムスキーの指摘のようなことも一理あるかもしれないし、テクノロジーと共存の道を探る友人たちの熱い想いもわたしは知っている。
決してディストピアのような景色を望んでいない。
はて、「人にしかできないこと」とはマクロ的視点だな。
本当は「わたしにかできないこと」、「この世界に立ってわたしにしかできないことをやるんだ」という強い意志を持てるかということでもあるんだな。
…坂本さんは一生涯でそれをしたんだな。
わたしが出会ってきた彼の音楽の全てを瞬間に思い巡らせて涙が出た。本当に素晴らしい。
普遍的だ。